1人経営の父が脳梗塞で倒れました

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以下、2023年9月6日にnoteで投稿した内容です。

今後も、家庭環境や精神疾患、借金などで悩む人の心が少し軽くなるような内容を発信していきます。

父の脳梗塞

なかなかレアなことが起こってると思い、
せっかくなのでメモ書きの気分で記録残しときます。

8月7日(月)に父が脳梗塞で倒れて入院。

前の週、8月2日(水)に片方の目が見えにくいと言って病院で白内障の診断を受けていた。

そこから5日間、日が経つにつれて認知症の症状が出てきて、7日の朝に病院で診断された。

自分は8月5日(土)から8月8日(火)まで東京に居た。

東京にいる間の様子を聞いたところ、

2分間のレンチンご飯を20分間温め続けていたり、
使わないはずの魚グリルの火がつきっぱなしになっていたり、
自転車で何度もコケて右半身は血だらけだったそう。

人生で初めて認知症の人を目の当たりにした。
聞いた時は自分の親がそんな状態なんだと思い、本当にショックだった。

会社の業務もそんな状態で行っていたので、東京から帰ってきた時には大変な状態だった。

発送したはずの商品が届いていない事態(文字が書けず)や、
電話でのやり取りが出来ていなかったり(まともな会話ができず)、
事務所内の物が散乱していたり(物の場所が把握できない)など。

今思い返せば、8月2日の時点で白内障ではなく脳梗塞は起こっていたのだと思う。

悔いが残るのは、8月4日(金)に父と仕事をしていた時、
「パソコンのこれのやり方がわからへん。」と言ってきた。

父は75歳だし物忘れも普段からあったので、
「またド忘れしたんか」くらいに思い、何の疑いもなく代わりに業務をやった。

今思い返せば、正常な状態ならあり得ないことだったので、この時に気付いてあげれたら良かったなと思う。

今はリハビリ病院で3〜4ヶ月を目処にリハビリをしている。
確実に後遺症が残るとのこと。脳の部位が高度機能障害と呼ばれる場所だったので、幸い身体は動く。

が、右左の判別、文字を書くこと、言葉が出てこないなどの症状が残っている。医者いわく、「健常者には絶対にわからないことが起こるのが高度機能障害なんです。」と言っていた。

父と話をしていても、少しでも難しい話になったり、長い話になると、言葉が詰まる。言葉が詰まると毎回、親指と人差し指にギュッと力が入り、何とか言葉を搾り出そうとするのが身体のサインとしてもわかった。
相当なストレスなんだと思う。

ただ、父は楽天家すぎるので、笑いながら病院が暇すぎて早く仕事がしたいと言って、リハビリに専念している。

父の会社経営バトンタッチ

父は1人で会社をやっていた。僕は足が悪くなり、仕事もどんどん増えていく会社で1人働く父を放っておけず、ここ1年間は毎日2〜3時間は手伝いにいっていた。これが良い選択か悪い選択だったのかは未だに分からない。

東京から大阪に戻ってから10日間、お盆休み中も毎日会社に行って、ごちゃついた社内を整理するところから始まった。

しかし、まず認知症状態での仕事により、毎日朝から晩まで電話が鳴り止まない。
「社長と連絡がつかない」
「商品が届かない」
「支払いはどうなってるの」
この電話と緊急なタスクと並行して1日分の仕事をこなすのは不可能だったが、寝る時間を削って何とかやろうとした。

プラスで、自分のライター業もある。ただ、事態が事態だし、24時間で両立するのは不可能だと悟って、途中から全ての業務を代任を探して引き継いだ。

元々ライター業は長くするつもりはなかったので、これもタイミングだと思った。

そして、1人で踏ん張ること10日目。
朝から自分の様子がおかしかった。

まず、電話している相手の声や内容が頭に全く入ってこなくなり、
「なんか音が耳元で鳴っているな、」って感覚になった。
会話ができないので、何度か聞き返されたが何のことかわからないので、「確認して折り返します」と伝え切った。

次に、外での小さな物音を電話の着信音だと勘違いして、身体がビクっ!ってなり始めた。身体も震えていた。

耳鳴りもめちゃくちゃ頻繁になるようになった。

この時、「あ、身体がやばいんかな。壊れる寸前かもしれん」と察して、
すべてを置いて、すぐに帰ることにした。

この判断が本当に正解だった。

そこから5日間ほど寝込んだ。家からほとんど出れなかった。
人生で初めての異常な精神状態になった。

食欲がなくなるのも初めてだった。
僕の場合、食欲がなくなるんじゃなく、食事のことなんか考える隙もないくらいに1日中不安やネガティブで頭がいっぱいになって、ご飯を忘れているみたいな感覚だった。

5日間、会社に行かなかったので、取引先は混乱して携帯にも毎日電話がかかってきていた。でも、すべて無視していた。そうするしか出来なかった。

その次の週、少し動けるようになったので取引先の人たちに謝罪の連打をしていって、怒られた。取引もなくなったものもあった。

本当に有難いことに、取引先の中で大手で長い取引をしている企業の人とその部下(1歳年上)の人が会社に常駐して手伝ってくれることになった。

「こんな仕事量、普通4人はいるで」「1人なんか不可能やろ」「もっと早く助けよんでや」と言ってくださって、無給で手伝ってくれている。

大阪に戻る→絶望→踏ん張る→潰れる→救世主。

正直、会社立て直すことだけなら救世主たちのお陰で何とか耐えてますが、
会社の借金や統合失調症,霊視,鬱状態の姉、無関心の兄などとの複雑な関わりの中で、2回ほど精神は狂いました。狂うって表現が正しい。ジョーカーとハーレイクインの気持ちがわかるくらいには狂ってた。

心配してくれる人や友達が連絡くれたり色んな言葉かけてくれるお陰で生きれてます。これはほんまに、極限まで落ちてわかりました。
本当にありがとうございます。

自分にはマジな困難を1人で耐える強さはないので、
これからも良いことはもちろん、辛いことや弱い自分も全部さらけ出していきます。

まだまだ書き足りない話がたくさんあるので、
また会った時に笑い話として話しますね。

それまでもうちょい頑張ります。
年内にはすべて片付けて東京住む予定です。

引き続き諦めず、明るく陽気に笑顔忘れず生きていきます。

有難う御座いました。

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