この記事は2023年3月9日に投稿したnoteからの引用です。
今日も日記です。
母親は2015年頃から癌を患っていて、今(2023/03/09)は深刻化していて、今にも何が起こってもおかしくない状態。
そして昨日、母親が家に帰ってこれる、タイミングが良い日だったので僕も実家に帰った。
姉と3人でいつ終わるかわからない母親との時間を噛み締めていた。
去年、週一で実家に通っていた話
ちょうど去年から家族の関係が良くなっていって、今ではみんなが仲良く話せている。
2022年が始まってから、すぐに海外で暮らそうとしていた。フリーランスとして安定もしてたし、海外で生活することで頭いっぱいだった。
でもなんか気が乗らなくて、色々調べていても行動がついてこなくて、おかしいな〜ってなって思ってた。
理由を考えていた時、ハッキリしていたのは「まだ日本でやりたいことあるな」でした。なので海外は一旦先延ばしすることに。
この時から、家族が良くなるために今の自分に出来ることをしたいと何となく感じてたんだと思う(潜在意識で)。
そして気づいたら1、2週間に1度は実家に帰って母親、姉と話す時間を作っていた。
母親には感謝を伝えることから、あとは自分から心を開いて話を聞いてあげて、自分の気持ちも伝えまくった。姉にも言葉で勇気つけたり、本を紹介したり、悩み相談、人生について、死生観、母親も交えて語り合った。
その前の年。2021年から自分の心の変革が加速して、去年にはオープンマインドのハッピーボーイになっていたからこそ出来たと思う。(ご縁に感謝でしかない)
自分が変わってなかったら恥ずかしさが勝つから話したいことも言えなかったし、何より家族や友達、愛や平和とかに対する価値観が育ってなかった。
今振り返ると、自分に向き合っていたことも、まったく関係ないように思えることも、後々考えたら必要なことだったし、人生はずーーっと線で繋がってるなと思いました。
週一しか仕事の休みが取れなかった母親の、唯一の休みの日に語り合うのがどんどん楽しくなっていった。
去年の1年間で生まれてから初めて「これが家族かぁ」と実感できるようになった。どこにもない安らぎ?安心感?みたいな。
数年ぶりに兄姉と母がそろった!
兄が実家を離れてからずっと顔を見てなかった。
自分がバスケを始めて(小4くらい)から外にいることが多くなってからは、まともに話をしたことも無かったから、いつか話したいなと思っていた。
それが昨日叶いました。
母と姉で話していたら、美味しいケーキをお土産に持って家に入ってきた。
忙しいそうで、30分くらいしか一緒に居れなかったけど、
人生で初めてまともな状態で4人が揃いました。
久しぶりの兄もオーラからして良くなっていて、その場にいた全員が幸せを噛み締めていたのを感じた。お土産の高級ケーキを囲んでみんなで話していた。
「まさかこんなハッピーエンドになるとは思わんかったね」
姉が言いました。
その言葉にとても感慨深くなりました。
昨日も書いたように、我が家は常識や普通が通じず、信じられない世界だった。それぞれの病やトラウマが完治することはないかもしれないけど、
諦めなければ、生きてさえいれば道は開けるんだな〜って。
兄姉は6、7歳上だから、生まれてから30年近く。姉は病気のせいで毎日死にたくなって死にたいってずっと言っていた。
そんなしんどくて辛い状況と闘うにはあまりにも長すぎたけどね。
やっと家族ってものが何なのか、家族って良いな〜幸せだな〜って分かってきたのが去年から今日まで。もっと家族を感じたいしみんなでご飯を食べたい。(家族揃ってご飯食べたことない。憧れる)
やっと始まったと思ったら終わりそうなのが、めっちゃ切ないし寂しい。けどとてつもなく幸せ。遠くない将来、自分の家族が出来るのが楽しみで仕方ない。
母親に死ぬまでにしたいことを聞いたら、「子供3人とご飯を食べに行きたい〜」と言っているので、行けたら良いなぁと思います。
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